貧困の克服 アマルティア・セン 大石りら訳 集英社新書
知人に啓発されて読んだ。この様なアジアの知性を知らなかったことが恥ずかしかった。「人間の安全保障」という言葉を学んだ。「誤った他者理解は誤った自己理解に結びついている」という言葉に思わず姿勢を正す。
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在日ふたつの「祖国」への思い 講談社 姜
尚中(カン・サンジュン)
鮮烈だった。
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亀裂をこえるもの 粕谷甲一 新生社
静かな視線と行動で、「蟻の町」から「青年海外協力隊」、「キリストへの信仰」と、時代と人々に関わりながら生きた著者の人生に深く感動する。

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帰ってきたファーブル 日高敏隆 講談社学術文庫
「論理の積み重ねでなく、...イマジネーションが倫理の出発点なのである。」(p61)とか、「科学は役に立つか否かよりも、科学は安心感を与えるというのが根本なのである。」(p70)、「現実には客観などという言うものはない。あるのは主観だけである。一つの共同体の中で一つの主観が大勢を占めていると、それは客観的なものと受けとられる」など、私の好きな考えが方がポンポンと出てくる。
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98%チンパンジー ジョナサン・マークス 青土社
『1960年代に遺伝学は分子的になり、研究者が「ヘモグロビンの観点からすれば人間は異常ゴリラにすぎない」といった一見深遠な見解を述べるようになった...。自信にあふれた提唱者は、ヘモグロビンの観点が当面の問題の観点として適切とは言えないかもしれないことに、気づいていなかったようだ。』
論理は飛躍するが、私は、この本を読んで、理科離れは、結局、科学者が社会から尊敬されていないからだと思うようになった。
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滝川幸辰 伊藤孝夫 ミネルバ書房
滝川幸辰は、刑法を専門とする法律学者であった。
「厳罰をもって犯罪防止をはかるよりも、犯罪が起こる背景を考えるべきだ」とする考えが危険思想として批判され、時の政府から辞職を要求されるようになった。
多くの大学人と学生が滝川幸辰を支援する戦いに立ち上がったが、一九三三年(昭和八年)、法学部教官の過半の辞任という敗北で終わった。
終戦後の一九四六年、滝川幸辰は法学部教授に復職、一九五三年から一九五七年まで、京都大学総長を務めた。
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旅人 湯川秀樹 弥生書房
あまりも有名だが、湯川秀樹は、一九三四年中間子理論を発表、一九四九年ノーベル賞に輝いた。それは、戦争の打撃から復興途上にあった日本人を大いに励ました。
湯川秀樹は、「旅人」の中で、「学者として生きている限り、見知らぬ土地の遍歴者であり、荒野の開拓者でありたい」と述べている。
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サル学の現在 立花隆 文春文庫
今西錦司が先頭に立って展開してきたサル学は京都大学らしい研究の典型であろう。今西錦司は、「家族の起源は何か? 人間社会の起源は何か?」という課題にとりつかれ、仲間と共にサル学の研究に半生を費やし、日本のサル学を世界に類の無いものにした。それは数多くの素晴らしい成果を上げ、京都大学霊長類研究所の設立となった。
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ライシャワーの日本史 国弘正雄 講談社学術文庫
日本が中国文明をモデルにしたように、北ヨーロッパの国々は地中海文明をモデルにした。
故エドウィン・ライシャワー(元アメリカ合衆国駐日大使、元ハーバード大学)は、日本文化と北ヨーロッパの国々の文化を比較し、「日本文化と中国文明の距離」は「北ヨーロッパの国々の文化と地中海文明の距離」よりずっと大きく、日本は独特の生活様式と独創的な文化を創り出したと述べている。
圧倒的な力を持つ中心文明からの距離を独創性の物差しとする彼の考え方は、京都大学らしさを考える参考になった。

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百寺巡礼 五木寛之 講談社
百寺巡礼は読んだ範囲で全部興味深かった。著者の人生と京都が語られている京都Tには特に魅力を感じた。

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遺伝子は語る 村山美穂 河出書房
ボスが雌を独占するのは優秀な遺伝子を残すためだという。だが、DNAで調べると、意外と若猿の子どもも多い。「direct evidenceが無い限り、本当かどうか分からない」と言う一例か?
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新しい漢方 寺沢捷年 考古堂
神経内科、脳科学、解剖学をしっかり学んだ後に新しい道を求めて和漢診療学の道に入ったという著者。
伝統的に肝臓とか腎臓に振り分けられて来た漢方の薬が、幾つかの脳内伝達物質を通して脳にも働きかけていたことが分かってきたという新しい展開に興味を引かれた。
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女性への畏敬の念をかき立てられた3冊の本(主として学生時代に読んだ本) |
倚松庵の夢(いしょうあんのゆめ)谷崎松子 中央公論
一読して、私は、女性の手になるものとは思えない力強い文章に驚いてしまった。文豪谷崎潤一郎が、なぜ、松子夫人を人生最後の同伴者に望んだ理由が分かったような気がした。
昭和10年、二人は正式に結婚した。昭和11年から住吉川右岸に住み、家は倚松庵と名付けられた。倚松庵は、阪神淡路大震災を生き抜き、今も、住吉川右岸に、下の写真の様に立っている。

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琴は静かに 吉野登美子 弥生書房
八木重吉の妻として生きた後、その死後、「八木重吉」と共に、歌人吉野秀雄と再婚し、生きた人生。読むたびに瞼が熱くなり、最後まで読み通したことは無い。

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私の日本地図(全14巻)宮本常一
山の民 江馬修
梨の花 中野重治 |
命の初夜 北条民雄
花と空と祈り 八木重吉
信州に上医あり 南木佳士
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「登呂」の記録 森豊
真ん中に四角い穴のある丸い木片の「ネズミ返し」の発見によって、「登呂」遺跡の倉庫か高床式か低床式かの大論争が、高床式ということでけりが付きました。急所が大事なんだと思いました。
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冷血 トルーマン・カポーティ
「事実に語らせよ 」と言うノンフィクションノベルの方法論が衝撃でした。自然科学こそそうしなければ。カポーティは、「ティファニーで朝食を」の原著者です。
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自己創出する生命 中村桂子
「科学」が普遍・分析・還元・客観・論理を旨とするなら、それに多様・全体・主観・直感・関係・歴史性などを附加したものとしての「誌」が必要だと。(本文からの引用)
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