阿武山観測所は,大阪府高槻市の北方,標高281mの阿武山山頂から南へのびる尾根の突端頂部,通称 美人山の山頂付近にあります。美人山の標高は218m,山麓を有馬-高槻断層帯に境され,隆起した北摂 山地の南端に位置し,天然の展望台となっています。塔の屋上はもちろん,本館の2階以上からも,大阪 平野を一望することができます。晴れた日には淡路島や関西国際空港までも遠望でき,夜となれば,眺望 は地の果てまで続くような無数の光の海に変わります。

 阿武山観測所は,1927年の北丹後地震(マグニチュー ド7.3,犠牲者約3,000人)の発生後,地震の研究を進める ため,1930年に設立されました。原奨学金の援助を受け, 地元からは約3万坪におよぶ用地を300年間の契約で借 用させていただいています。建物は,斜面であることを 生かし,2階建ての西館と3階建ての本館・東館を上下 および左右にずらす変化を与えています。2007年(平成 19年)に大阪府の近代化遺産総合調査報告書において,注目すべき近代化遺産として取り上げられました。

 美人山の山頂には,阿武山古墳があります。この古墳は, 初代所長志田順が,地震計用のトンネルを掘削しているとき(1934年)に偶然発見したもので,石室から は貴人のミイラが発見されました。 志田は,埋葬物について,当時としては最新技術である X線写真を撮っていました。しかし,「不敬」にあたると してその存在は内密にされ,1982年に観測所の物置の奥 から再発見されるまで歴史に埋もれていまし た。X線写真の解析により,貴人の枕はガラス玉を銀の糸でつないで錦でくるん だ「玉枕」であること,衣は金糸の刺繍があったことから身分の高さが想像され,藤原鎌足ではないかと言 われています。1983年,文化庁により阿武山古墳として 史跡指定されました。

写真上:阿武山古墳の案内板(クッリクすると拡大します)

● 地震計室(本館地下)Seismographs.html

写真上:1995年当時のテレメータ室。

● 本館(1〜3階)Hon-kan.html
● 西館Nishi-kan.html
● 観測坑道Tunnel.html