鳥取県西部地震震源域における稠密GPS観測(全体の概要)

橋本学,細善信,大谷文夫,原田昌武,西村宗(京都大学防災研究所)
田部井隆雄,大庭健太郎,恵口泰秀,近添裕司(高知大学理学部)
筧楽麿,石橋克彦,原田智也,三好崇之,土井英寛,井澗陽平,山内麻記子,田川繭子(神戸大学理学部)
高橋浩晃(北海道大学大学院理学研究科)
平原和朗,木股文昭,宮島力雄,中野健秀,大井陽一(名古屋大学大学院理学研究科)
中尾茂,平田安廣,加藤愛太郎(東京大学地震研究所)

1.観測の目的
 2000年(平成12年)10月6日13時30分に鳥取県西伯町,日野町付近を震源とするM7.3の地震が発生した.この地震は,1995年1月17日の兵庫県南部地震以来最大の内陸地震である.兵庫県南部地震直後より,GPS大学連合は震源域において稠密連続観測を実施し,顕著な余効変動を観測した.この成果は,地殻内部の流動的な性質を解明する上で大きな拘束条件を与えた.今回の鳥取県西部地震に伴って,同様な余効変動が生じることが期待され,その発生機構や地殻内部の流動的な性質に関する情報を得ることが期待される.このため,GPS大学連合は関係大学の協力により,本震発生直後から震源域周辺で稠密なGPS連続観測を実施した.

2.観測の経緯
 
本震発生直後,10月7日に京都大学防災研究所,高知大学理学部,神戸大学理学部,北海道大学大学院理学研究科,名古屋大学大学院理学研究科より総勢15名が,現地入りした.10月9日までに,2周波観測点16ヶ所,1周波観測点4ヶ所において観測を開始した.さらに,10月11日より東京大学地震研究所が1周波観測点8ヶ所を増強し,観測を開始した.観測点の位置を図1に示す.主として,電源確保の問題と震源からの距離を考慮して,1周波観測点は,余震域を横切る国道180号線および並行する県道溝口根雨線沿いに設置し,2本のトラバース測線を形成した.2周波観測点は,これらを取り囲むような位置に配置した.2周波受信機の内部メモリー容量の関係で,設置後1週間ごとに京都大学,高知大学,神戸大学が交代でデータの回収を行い,10月末まで観測を継続した.1周波受信機については,県道沿いの観測点は10月末まで,国道180号線の観測点は12月半ばまで観測を行えた.(この詳細については,地震研中尾氏の発表を参照されたい)

 現在,詳細な解析を行っており,暫定的な結果を次節以降に述べるが,基本的に本震の断層運動と同じ左横ずれ運動の変位が得られている.しかし,時間変化については,興味あるパターンが得られており,今後空間パターンとあわせて地球物理学的意義について検討したい.

 観測期間中,大雨洪水警報が発令される大きな気象擾乱もあり,観測網の密度を考慮すると,今回の観測データはGPS気象学にも貴重な情報をも含んでいると考える.このため,観測データは解析終了後に公開し,いろいろな研究に供したい.

成果の公表
橋本他,鳥取県西部地震震源域周辺における稠密GPS観測,2000年地震学会秋季大会,2000.
中尾茂,平田安廣,加藤愛太郎,稠密1周波GPSアレイによる鳥取県西部地震の余効変動の観測,2000年地震学会秋季大会,2000.

謝辞
 
観測に際して,鳥取県米子市,江府町,溝口町,岸本町,日野町,日南町,西伯町,島根県伯太町,江府町山村振興センター,江府町立明倫小学校,溝口町立二部小学校,日南町石見センター,日野町立根雨小学校,同菅福小学校,日野町役場黒坂支所,建設省中国地方建設局菅沢ダム管理事務所,日南町立大宮小学校,伯太町立赤屋小学校,同井尻老人福祉センター,同母里公民館,岸本町教育文化会館,米子市五千石公民館,西伯町立法勝寺中学校,鳥取県賀祥ダム管理事務所には便宜を計っていただいた.また,地元の皆様方には,災害直後の大変な状況にもかかわらず,観測に対してご理解とご協力を賜りました.ここに謝意を表します.




鳥取県西部地震震源域における稠密GPS観測(2周波観測)

橋本学,細善信,大谷文夫,原田昌武,西村宗(京都大学防災研究所)
田部井隆雄,大庭健太郎,恵口泰秀,近添裕司(高知大学理学部)
筧楽麿,石橋克彦,原田智也,三好崇之,土井英寛,井澗陽平,山内麻紀子,田川繭子(神戸大学理学部)
高橋浩晃(北海道大学大学院理学研究科)
中野健秀(名古屋大学大学院理学研究科)

1.観測の概要
 10月6日(年通算日280日)の本震発生を受け,京都大学防災研究所,高知大学理学部,神戸大学理学部,北海道大学大学院理学研究科,名古屋大学大学院理学研究科より総勢15名が,翌7日に現地入りした.L1およびL2波受信可能な2周波受信機として,Ashtech Z-12およびZ-Surveyorを使用し,全15ヶ所において観測を行った.これらの受信機は,10kmを越える距離でも高精度の測量が可能である.その反面,連続観測のためには交流電源が必要であることから,震源域を取り囲むやや離れた地域で交流電源が確保できる公共施設を中心に設置した.図1に,これらの観測点配置を余震分布とあわせて示す.観測地点,観測点コード,使用受信機およびアンテナ,観測期間は,表1の通りである.一部を除いて,アンテナは鉄筋コンクリート建物の屋上にボルトおよびコンクリートで固定した(写真1,2,3)
 観測は,30秒サンプリング,仰角マスク15°で24時間連続観測である.Z-12はメモリーが小さいため,1週間おきに13ヶ所の観測点のデータを現地で吸い上げ,10月末まで観測を継続した.
 いくつかの観測点で受信機の異常,停電,アンテナの移動(人為的と思われる),データ不良などにより欠測があるが,概ね所期に想定した観測を実施することができた.ただし,解析結果には気象の擾乱による影響と考えられるばらつきが見られる.特に,設置直後の10月8日-9日の前線の通過により現地では大雨洪水警報が発令されたような悪天候のため,地震直後の変動の解釈をやや困難にしている.

2.解析
解析は,近傍の国土地理院の連続観測点米子,溝口,赤来,高梁および鹿野と,IGSのつくば,上海,武漢およびグアムのデータと合わせて,Bernese4.2を用いて行った. IGS精密暦を使用し,各観測点における天頂遅延量は3時間毎に推定した.具体的な解析の手順は,
(1)IGSの3観測点(つくば,上海,武漢)を固定して,地理院鹿野の座標値を3週間分のデータより決定.
(2)観測直後の暫定解析に用いた二部,江府,上菅,赤屋,五千石,西伯および地理院赤来と高梁の3週間分のデータから,鹿野を固定して赤来と高梁の座標を決定.
(3)鹿野,赤来,高梁を?で得られた座標で固定して,15点と地理院米子および溝口の日々の座標を計算.
である.

3.結果
 解析の結果推定された各観測点の座標(緯度,経度,楕円体高)の日変化を図2に示す.また,図3には,いくつかの期間における水平変動ベクトルを示す.これらの特徴を下記に述べる.

(A)座標の日変化
 座標の日変化には, 3つの大きな特徴が見られる.初期の変動の短期間の終息,10月18日前後に主に西部の観測点に見られるステップ状の変化,および時定数が1ヶ月より長いと推定される変動である.

(1)初期の変動の早い終息
 観測開始後約1週間で一旦変動は終息したように見える.この傾向は,いずれの観測点に共通に見られる.ただし,明倫,赤屋などは10月10日頃で終息している.国土地理院溝口観測点の変動にも同様な傾向が見られることから,臨時観測点の設置後の過渡的な現象ではないと考えられる.いずれの観測点も,米子に対して南西に5-15mm程度変位して,停止した.中でも,上石見と根雨の震源断層南部に近い点の変位が大きい.なお,10月9日の座標が大きく変動しているのは,前述の前線通過の影響と考えられる.

(2)10月18日頃に見られるステップ状変化
 10月18日頃に,赤屋,井尻,大宮,菅沢ダムなどの観測点の緯度成分に,ステップ状の変動が認められる.いずれも5mm弱であり,観測精度と同等の大きさであるが,前後1週間程度の平均値の差を見ると,明らかである.伯太は10月19日の欠測と20日の気象による擾乱と思われる影響があるため,確定的ではないが,前後の緯度成分の平均には明らかに差が見られる.これに対して,賀祥,二部,地理院溝口,江府,明倫,根雨などの震源断層の東側に位置する観測点には,このような変動は認められない.なお,西伯には10月14日頃に経度,緯度両成分に変化が見られている.
 なお,ばらつきが大きいため結論的な議論は困難であるが,赤屋はこの時期から後,隆起しているように見える.

(3)やや長い変動
 五千石,岸本,二部,上菅などいくつかの観測点で,10月末まで変動が継続していることが認められる.前述のステップ状の変化とやや紛らわしいが,これらの観測点ではこのステップ状の変化は認められず,むしろ時定数の長い変動と考えられる.

(B)変位の空間パターン
 前節では,時間変化に着目して特徴を述べたが,ここでは変位の空間的な分布についてその特徴を述べる.
図3にいろんな期間の水平変位ベクトルを示す.共通な特徴は,隣接する伯太-西伯間と黒坂-根雨間で変位の食い違いが存在することである.余震分布と観測点配置の関係から明らかなように,これらの観測点の間に震源断層が存在すると考えられる.本震は左横ずれ断層運動であったと推定されており,余効変動もこれと調和的な左横ずれ運動が継続したことがわかる.
3.(A)(2)で述べた10月18日頃のステップ的な変化をベクトルで見ると,図3のようになり,伯太,井尻,赤屋がほぼ南,菅沢ダムが南東へそれぞれ変位したと考えられる.推定される震源断層からの距離は赤屋と菅沢ダムの方が伯太,井尻より遠いが,前者の方の変位が大きいことから,この変動の力源はやや深いものと考えられる.主たる余震分布に直交して赤屋に向かって延びる余震分布が認められ,ここで10月17日にM3.7の余震が発生している.余震の減衰の状況を見ると,この時期はそれまで順調に減衰していた余震活動がやや活発化した時期の後にあたる.この期間にはやはり10月17日に余震域の南端付近でM4.2の余震が1回発生している.その前後1週間以内にはM4より大きな余震はない.余震活動に関連した変動と考えられるが,余震の規模との定量的な関係を吟味する必要がある.
上下変位については,気象による影響と思われる変動が大きく,残念ながら1cm以下の議論はできない.気象の影響を除去する工夫が必要である.