鳥取観測所は,鳥取市北園一丁目にあります。鳥取 駅から北の方角に,鳥取城跡のある久松山の反対側に 位置しています。十数年前から宅地開発が始まった北 園団地に上る道路沿いの「桜広場」の一角に建っていま す。春には桜がきれいです。鳥取市は,鳥取砂丘や松 葉ガニで有名ですが, 地震研究者の間では, 昭和18 (1943)年の鳥取地震(マグニチュード7.2)で甚大な被害 を受けたことで有名です。本観測所が鳥取市に建てら れたのは,この地震によるところが大きいと思われます。

昭和18年鳥取地震による被害。鳥取市川端一丁目付近。

 本観測所は,文部省予算「本邦地震活動度の地理的分 布調査のための観測事業費 」の交付により, 昭和39 (1964)年に防災研究所附属鳥取微小
地震観測所として 設立されました。初代所長は故一戸時雄名誉教授,初 代助手は尾池和夫前総長でした。設立当初は,上述の 現観測所から西南西方向に約600m 離れた,円護寺公園 墓地西側の小高い山の中腹の尾根部にありました。こ こでは,設立当初の建物を本館,現観測所を新館と呼 ぶことにします。当時は,地震計の出力を信号線に乗 せて遠くへ伝送するテレメータ技術がなかったので,観 測所の地下室で地震観測を行っていました。このため, 観測所は人里離れた静かな場所に建てら

本館(昭和39(1964)年ー平成19(2007)年)

れる必要があ ったのです。
 翌昭和40(1965)年には文部省による地震予知研究計 画(第1次)がスタートし,以来,本観測所においてもこ の計画に基づいて微小地震観測システムの充実および 研究の推進が図られることになりました。山崎断層を 主なターゲットとして,兵庫県西部から鳥取県東部に かかる地域に5観測点が展開されました。さらに,山 陰地方の地震活動を把握するために鳥取県と岡山県北 部に4観測点が展開されました。この観測網のデータ を用いた最初の成果は,山崎断層に沿って微小地震がほぼ線状に分布している
ということでした。その後, 山陰地方でも海岸線にほぼ平行に微小地震が帯状に分布することがわかりました。このように,微小地震 は空間的に不均質に分布するということが,初期の研究における重要な成果です。
 1970年代の中ごろにかけて,テレメータ技術が地震観 測に導入されました。これにより,本観測所においても, 上述の9観測点の地震計の出力を専用電話回線に乗せて 伝送する装置が導入されました。観測所が手狭になった ため,山の下の墓地の前に分館が建設され,観測所の主

分館(昭和52(1977)年ー平成11(1999)年)

たる活動はそちらで行われることになりました。テレメ ータシステムの
導入により,観測所でデータをモニター できるようになったため,欠測が減りました。テレメー タシステム導入以前の地震データの時刻精度は,個々の 観測点の時計の精度に依存していましたが,導入後は回 線遅延量を測定し補正することにより,観測点間の相対 的な時刻精度は飛躍的に向上しました。これにより,震 源決定精度も格段に上がりました。本館の地下室で行っ ていた地震観測も山裾の観測坑に移しました。
 1990年代の中ごろから分館付近の宅地開発が進

観測坑内に設置された種々の地震計

み,蛍 が飛び交っていた裏の田圃の宅地造成が始まりました。 観測所の土地に市道が通ることになり,平成11(1999)年 初めに鳥取市の補償で北園一丁目に移転しました。これ が現在の新館です。
 平成12(2000)年10月に,鳥取県西部を震源とするマグ ニチュード7.3の大地震が発生しました(平成12年鳥取県 西部地震)。幸いなことにこの地震による死 者はありませんでしたが,それでも負傷者 182名,全半壊家屋3,536戸など大きな被害が 出ました。この地震の震源域では,地震発生 の10年ほど前
からマグニチュード 5 前半の地 震数個を含む群発的な地震活動が発生してお り,本観測所と地震予知研究センターおよび 鳥取大学ではその都度余震観測を行い,群発 活動について詳細に研究しました。この鳥取 県西部地震においても,これらの機関が中心 となり,全国の大学等研究機関と共同して稠 密余震観測を行いました。この観測の一番の 成果は,震源域の不均質構造が詳細に推定さ れたということです。先行して発生した群発 活動や本震断層面でのすべり分布が,この不均質構造の影響を受け,途中で止まったり,硬い部分を避け て進行したりした可能性を示す結果が得られました。

平成12年鳥取県西部地震による被害。上長田神社

(鳥取 県南部町下中谷)。

また,この稠密余震観測で得られたデータは,大学 院生の修士論文や博士論文のための研究にも活用されました。
  平成7(1995)年兵庫県南部地震以後,基盤的な地震観測の強化が図られ,観測点数が飛躍的に増加しま した。これにより震源決定精度がさらに向上しました。加えて,地震波が観測点まで伝わる時間の観測点 ごとの誤差も精度よく補正できるようになりました。この精度よく補正された値を用いて,本観測所のテ レメータ観測以降の約30年分の震源データの再決定が行われました。その結果,山崎断層に沿って発生し ている微小地震も不均質に分布して

平成12年鳥取県西部地震の断層面上の不均質構造。青い部分は地震 波速度が大きく,硬い岩体と考えられる。赤い部分はその逆である。 コンター(等値線)は,本震時のすべり量の分布を示す。数値の単位 はメートル。白丸は先行群発地震を示す。本震の破壊は星印から始 まり,先行活動域を小さなすべりで伝播し,その南東側で大きなす べりをもつ主破壊となって,高速度領域の間を縫うように進行した ことが読み取れる。

いることがわかりました。この不均質性から将来の地震の際に大きくすべって強い揺れを出す部分を推定しようという 試みもなされています。

 このように本観測所では,わが国でも有数の長 期にわたる震源データを用いた研究が行われ,多 くの成果が上げられてきました。

 地震以外では,地面の下の電流の流れやすさを 表す比抵抗構造を推定するための観測・研究が, 地元の鳥取大学と共同で行われています。また, 山陰地方の温泉の温度変化をモニターして,地震 の前兆現象を捕らえようとする試みも同大学と共 同で行われています。

 次に,本観測所の地域社会に対する活動につい て触れます。鳥取県の防災担当部局とは,鳥取大 学とともに協力体制を築いてきました。平成14 (2002)年から 5 年間にわたって行われた21世紀 COE で の研究プロジェクトでは,自治体の地震防災に役立つ地 震情報についての共同研究を行いました。
 また,鳥取市の中学校では 6 月末から 7 月初めの 5 日 間,職場体験学習を行っています。本観測所も平成12 (2000)年からこの取り組みに協力し,毎年地元の中ノ郷 中学から2年生数名を受け入れています。地震発生の仕 組み

近畿地方西部~中国地方東部の震央分布(青丸)。赤線は活断層。 +は地震観測点。太い+は本観測所の観測点(臨時観測点も含む)。 破線は県境。

や観測所の仕事について説明したり,地震等の観測 についての実習をしたりしています。
 観測所として地域社会に地震情報や地震に関する知識 を発信するために,地方紙「日本海新聞」に毎月「山陰の 地震」という記事を連載していました。
内容は,前の月 に発生した地震の震央分布図に基づいた地震活動概況の 説明と,タイムリーな地震に関する豆知識の解説で,平 成7(1995)年から平成18(2006)年まで,足掛け12年にお よびました。
 以上のように本観測所は,ほぼ半世紀にわたって学術 的にもまた地域社会にとっても重要な役割を果たしてき ました。今後もより一層の貢献をしていきたいと考えて います。

中学生の職場体験学習 地震計の仕組みを理解するために,簡単な地震計を作 っているところ。


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